COMPANY HISTORY

フォーサイト株式会社の歴史 vol.2

弊社社長の金古と共に振り返る「フォーサイト株式会社の歴史」連載企画の第二弾
金古社長の座右の銘「思いたったら吉日、さっとはじめてダメならさっと引く!」を体現された内容です。
ぜひご一読ください。

昭和48年にユニーク株式会社に入社。
仕事が楽しくて仕方がない青年時代を過ごした金古社長。
現「フォーサイト株式会社」誕生までの物語です。

入社した昭和48年は、とにかく景気がよく、働けば働いた分以上にお給料が稼げる時代でした。
「営業で一番になりたい」という一心でがむしゃらに働き、婦人服を持って営業三昧の日々。

私の営業手法はまず、お客様の背景を想像し、どの商品であればお客様が欲してくれるだろうか。
どの様に提案すれば欲しいと思ってもらえるだろうか。と考えを巡らせ、店頭を観察後に希望に沿った商品提案を心がけておりました。

何より毎日に手ごたえがあり、楽しい日々を過ごす中で、気が付けば売上が年間で1億円を超えることもありました。
話すことが何よりも好きだったので、まさに天職に就いたのだと思います。

私生活では23歳で結婚し、28歳で部長に。
これを順風満帆と言うのでしょうね。

会社を大きくするため、福岡から進出。
まず手始めに山口県。
40~50店舗飛び込みで商品を売り、それを基盤に東京にも参戦。
需要と供給のバランスが合っていない時代だった事もあり、商品を探しに古賀前社長と共に中国の深圳(シンセン)を訪れた際には、初めて海外に行った私に現地での過ごし方や、仕事の仕方などを教えて下さり、人格者とはこういう人の事を言うのだなと実感したと共に、上に立つ者の心得を学ばせて頂いた気がします。
その際に古賀前社長が話していた「良いことは3回言えば自分のものになる」という言葉が今でも自分の中に残っており、いまだに心がけていることの一つです。

40歳で社長就任。
本当に突然の事で大変驚いたのを今でも覚えております。
部長としてパート採用の担当をしており、採用したパートの方が入社してきた際に私は、既に社長になっていたのでこれは今でも笑い話になっています。
また、社内人事にも変化があり、昭和52年頃から大卒の新入社員採用を始めました。
それまでは高卒採用がメインでした。

時代は平成となり、昭和の頃のがむしゃらに頑張れば頑張っただけお給料がもらえる時代から、働き方が少しずつ変化し、社会も変わってきました。
社内改革に伴い平成7年に営業部門を分社。
コンセル株式会社、アーネスト株式会社を設立。
平成13年には合併し、「フォーサイト株式会社」に社名を変更。
ですが、私の方針は時代が変わろうと変わりませんでした。
お金を大事にし、仕事での対価は必ず払う。
また、社長として大事にしている事は、感謝の気持ちを忘れずに、何かあれば自分自身が頭を下げる事。
今でもここはブレることがありません。

いわゆる業界という所に長くいると、メーカー・問屋・小売店・消費者どこかが必ず痛みを伴うことがあります。
ですが、水が流れるよう、よどまないよう、メーカーから消費者まできれいに流れていく商売を目指していければと思っております。

令和になった今、コロナで社会は疲弊し、物価は上がる一方で、生活が苦しい…
ただこんな時代だからこそ、楽しく仕事をし、悔いの残らない人生を送りたいと思っています。

不景気な時代にこれから突入する今、会社を残すためにも次期社長について考えています。
「72歳までは社長業を続けるぞ!」と公言はしておりますが、会社の存続の事もとても気にかけており、これからの時代についていける若手に任せたいと思っております。
私が得てきた様々なことを伝授・継承できる次期社長を育てるのも私自身の務め。
ただ実際のところ後継者を探すのは中々難しいものだと実感しているのも事実です。

嫌々入った会社でも、いい先輩たちに巡り合えたおかげで今の自分がいると楽しそうに笑いながら話す社長。
社長室の棚には先代の社長の写真が並べられており、そこにはお菓子もお供えしてありました。
今でも感謝の気持ちを持ち続けている社長の人柄が見て取れる行動だと感じました。

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