COMPANY HISTORY

フォーサイト株式会社の歴史 vol.1

弊社社長の金古と共に振り返る「フォーサイト株式会社の歴史」連載企画の第一弾です。
昔を懐かしみながら終始笑顔で、穏やかに語る社長が印象的でした。
入社当時のお話、貴重な弊社の成長の記録となっています。
ぜひご一読ください。

フォーサイト株式会社の前身、ユニーク株式会社が創業したのが1959年(昭和34年)6月。
1959年、その頃のニュースは、メートル法が実施・キューバ革命・「ザ・ピーナッツ」が
キングレコードと契約・王貞治選手が対国鉄戦でプロ入り第1号本塁打・マルタイが棒ラーメン
「マルタイラーメン」を発売…などなど。弊社社長の金古は、その14年後、昭和48年の入社です。
浅間山大噴火、オイルショックなどの激動の時代…。
当時の社長から聞いたお話や、入社してからの話などを語ってくれました。

前身のユニーク株式会社の創業者は、水町照巳社長。
福岡の直方市で、水町商店を父が経営しており、水町は福岡市に出て、新規開拓をするため九州一円を回ったと聞いています。
当初から、婦人服を取り扱い、問屋要素とメーカーの要素の両方をもっている会社でした。

入社してからは、原反(裁断のためにカットし積み上げていく延反作業をする前の生地)を水町氏の奥様と加工場に運んで回っていました。
原価や素材の名前などを教わって、生地を少しカットしてノートに貼って覚える。
毎日がきつかったけど楽しくて仕方なかった。
モットーは「人材の材は財産の材」、会社は人生の鍛錬をする場所であるという社訓はもうこの時から根付いていました。
弊社は当時から血縁を入れない、実力のある人が社長を継いでいく方針を貫いています。

入社した時は二段ベット、6畳一間の寮生活でした。
寮は当時10人くらい、食事もあって、銭湯の券も配布、ラーメンを会社が準備してくれたり。
寮のミーティングが月イチの頻度であり、家庭的で寂しさを微塵も感じませんでした。
また、社長や奥様のお人柄もあり、たとえ朝4時から出張でも朝ご夫婦が見送って下さいました。
とにかく社員を信頼してくれていました。
人に優しく、いつも気遣いをしてくださる社長でした。

仕事の方は、入社後まもなくの事業部設立とともにコンサルを入れて日曜日に勉強会をする毎日。
独立採算制をとったのが九州でも早い方だったと思います。
事業部ごとの売上によって昇給賞与が決まり、「平等は不平等の始まり」という信念のもと日々戦っていました。
世襲がないから派閥がない、だれも安易に人を頼ろうともしない、社員それぞれが頑張っていました。

「練成会」と呼ばれる英彦山での朝6時からマラソン、研修会、5月には砂袋を担いで40キロ行軍、九重山・大船登山でご来光を拝み、12月には寒中水泳に加え朝6時からの5キロマラソン、木刀の素振り…とにかく今でいう体育会系といったところでしょうか。
当時そういう精神鍛錬が流行っていました。
私はそういった「優しさ・厳しさ・楽しさ」が揃った環境であらゆることを学ばせてもらえたのです。
仕事も楽しんで、楽しんで、楽しかったら疲れが吹っ飛んでしまいますね。
今でも、四六時中会社のことを考えていて、その「考える一日」が楽しく、自分のエネルギーの源です。

そうしてユニーク、モア、ジョイの3セクションからスタートしたユニーク株式会社は
2代目社長古賀の元でも更なる成長を遂げていきます。
次回は金古が平成7年9月に代表取締役社長に就任される頃のお話を語ります。

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